最後の一葉

「ねえ、最後の一葉っていうお話知ってる?」
 ほのかちゃんが、窓の外を眺めながら、そう聞いてきた。
「ううん。知らない」
「そう」
 首を振るぼくを振り返りもせずに、ほのかちゃんは言った。
 ぼくはベッドから降りると、松葉杖を使わずに、片足でぴょんぴょんとほのかちゃんの隣まで跳ねていった。ぼくよりもひとつお姉さんなのに、ぼくよりも小さいほのかちゃんの隣に立って、同じように窓の外を見た。
 ぼろっちい病院の、もうひとつの建物が見える。長いつたがが一本、壁に張り付いていた。もう茶色くなっていて、枯れた葉っぱが何枚か風にひらひら揺れている。
「どんなお話?」
「あのね、女の人が病気でずっと寝ていたの。それで、仲のいい男の人にね、言うの。窓の外の壁には、つたが生えてて、葉っぱが一枚だけついてるの。あの葉っぱが散ったとき、わたしも死んじゃうんだわって」
「ふーん」
 ぼくは横目でちらりとほのかちゃんを見た。いつも生意気なのに、今日のほのかちゃんはなんか寂しそうだ。胸の中が、どきどきする。
「私の病気もね、もう治らないんだって」
「そ、そうなの?」
「うん」
 ぼくは、とても悲しくなった。ぼくは交通事故で車にひかれて、足の骨がボキボキになっちゃって、ずっと動けなくて、それでも寂しくなかったのはほのかちゃんがいたからだ。ぼくはもうすぐ退院できるけど、ほのかちゃんは……
「ねえ、女の人はどうなったの? 葉っぱが散って――」
「ううん。葉っぱは散らなかったの。男の人がやってきた日も、次の日も、その次の日も」
「じゃあ」
「うん。女の人は死ななかった」
「よかった。……でもどうして?」
 どうして葉っぱは散らなかったんだろう。
「本当は、葉っぱは散ってたの。でも、男の人は絵描きさんでね、最後の葉っぱが散った夜に、本物の葉っぱそっくりの絵を、壁に描いたの。だから、女の人は死ななかった」
「そう、よかった」
「でも、私には絵をかける友達はいない」
「でも、でも……」
 何か言ってあげたくて、でも、ぼくは何を言ってあげたらいいのかわからなかった。
「また一枚散った」
 窓の外、壁のつたの葉っぱはあと四枚。
「あ、また」
 あと三枚。
「あの葉っぱが全部散ったとき、きっと私も……」
 お願いだから散らないで。ぼくは神様にお願いした。だけどまた一枚。
「ねえ、お話とは違うんだか――」
 いつの間にか、ほのかちゃんはいなくなってた。

 どうしたらいいんだろう。ぼくは一生懸命考えた。ぼくは、図画の成績はがんばりましょうだったから、ぼくが葉っぱの絵を描いても、絶対にすぐばれる。でも、葉っぱが全部散っちゃったら。

 ほのかちゃんは死んじゃうの?

 絶対に駄目だ。ぼくが退院して、ほのかちゃんと会えなくなるって考えただけで泣きたくなるのに、死んじゃうなんて。
 でも、どうしたら。
……そうだ、散らなかったらいいんだから。
 のりではっつけちゃえば。
 そうしたら葉っぱは散らない。のりは宿題の代わりだって先生が置いてった工作用ののりがある。
 そしてぼくは夜になって、看護師さんに見つからないように、向かいの建物に行った。
 廊下の窓を開けて、そこから外に出た。松葉杖は邪魔だから、窓のところに置いといて、壁の出っ張りを伝って、葉っぱのところへ。落ちたら死んじゃうのかな。そう思ったらブルブル震えた。でも、ぼくが頑張らないと、ほのかちゃんが。
 あった、あの葉っぱだ。
 葉っぱは、もう一枚しかない。でも、間に合った。
 ズボンのポケットに入れてたのりをだして、葉っぱに手を伸ばす。あとちょっと。あと、もう少し。
 だけど――
 風もないのに――
 まるで何かにちぎられるように、葉っぱがつるから離れた。
 あ――
 思わず手を伸ばしたぼくの身体も、壁から離れた。
 そのとき、葉っぱを細くて白い指がつまんでいるのが見えたような気がした。それはまるで、ほのかちゃんの指みたいだった。
 そして落ちながら、ほのかちゃんの声が聞こえた気がした。ほのかちゃんは、お話の続きを話していた。
(でも男の人はね、絵を描くときに冷たい雨にぬれちゃって、病気になって死んじゃったの)

 じゃあ、ぼくも?


 病院の屋上の、フェンスの外でほのかちゃんが笑ってた。ぼくは、頭とか、背中とか、いろんなところが痛かった。
(けんたくん。ずっと友達だよ)
 ぼくはうなずいた。ぼくはまた胸がどきどきした。
(みんなもずっと友達だよ)
 ぼくの周りの男の子たちも、こくりとうなずいた。みんな、いろんなところを怪我して、血をどくどくどくどく流していた。ぼくの隣の子は、首があっちのほうを向いていた。向こうの子は、足と手がぐにゃぐにゃだった。
 中庭のほうで、病院のみんなが大声で話していた。
「また子供が飛び降りた」
「外科病棟の菅原君だ。どうしてこんなところで」
「やっぱりこの病院はおかしいわよ。どうして同じ年頃の男の子ばっかり」

 ぼくは、ぼくたちは、ずっとほのかちゃんと一緒だね。


(fin)

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